国際オリンピック委員会 (IOC) のトーマス・バッハ会長!
よく見るけど、そもそもバッハ会長って、何者?
なぜ、オリンピック委員会の会長になったのか、気になったので、
バッハ会長の生い立ちや経歴を調べてみました!
すると、若い頃はまさかのオリンピック選手、しかも金メダリストでした!
- バッハ会長の国籍(音楽家のバッハと親戚?)
- バッハ会長の生い立ち・学歴
- バッハ会長の若い頃の画像や出場したオリンピックについて
- バッハ会長は何の競技の選手だったのか
- バッハ会長の経歴
Contents
バッハ会長の国籍は?
トーマス・バッハ氏は、
1953年12月29日、西ドイツのバイエルン州ヴュルツブルクで生まれます。
国籍は「ドイツ」ということになります。
バッハと言ったら、あの音楽家のバッハ!
ですが、このバッハとは、一切血縁関係はないそうで、バッハは、ドイツではよくある名前らしいです。
めちゃくちゃ似てませんか!?血縁関係は無いって話もあるけど。 pic.twitter.com/hi57BtzeZ0
— 上路 実早生 / Misaki Joji (@misaki_joji) April 19, 2020
バッハ会長の生い立ち
トーマス・バッハ氏は、ヴュルテンベルク州のタウバービショーフスハイムで育ち、
両親の元、同市のゾンネンプラッツで1977年まで暮らしました。
早くに父を亡くしたトーマス・バッハ氏は、フェンシングクラブで心身を鍛えます。
その後、大学は、ヴュルツブルク大学の法学部で、法律や政治学を学びます
経歴を年表でまとめるとこのようになります。
- 1972年:マティアス・グリューネヴァルト・ギムナジウム(高校)を卒業
- 1973年~1979年まで:ヴュルツブルク大学法学部で法律・政治学を学ぶ
- 1979年:第一次国家試験(司法試験)を通過して卒業
- 1982年:第二次国家試験(司法試験)に合格
- 1983年:博士論文「連邦憲法裁判所の裁判における予測の影響」で博士号(法学)を取得
バッハ会長は若い頃、オリンピック選手だった
学生時代、学問に励んでいたその裏側で、
バッハ会長は、オリンピック出場の経験があります!
若い頃のバッハ会長の画像とされるのが、こちらです。
歴クラの、政治的渦中にある人物が実は個人戦闘力が強いというジョーク、大体はまったくのこじつけだけど、バッハ会長の場合は本当に世界一の剣豪だったからな…しかし若い頃イケメンだったんだな… pic.twitter.com/x8trXZZOVx
— ふぇっぷく69.95 (@FarEastPKMOD) June 24, 2021
バッハ会長は、若い頃、フェンシング選手として活躍していました。
フェンシングには、フルーレ・エペ・サーブルなど、種目が分かれているのですが、
バッハ会長は、フルーレの選手です。
バッハ会長がオリンピックに出場したのは、
1976年、モントリオールオリンピック!
モントリオールオリンピックと言ったら、体操のコマネチ選手ですよね!
今日は、1976年、モントリオールオリンピック体操でルーマニアのコマネチが史上初の10点満点を獲得した日。その次の、1980年。モスクワオリンピックでも2個の金メダルを獲得しました。彼女のおかげで、女子体操競技が人気種目に。五反田、器 pic.twitter.com/aGGlibnZ7k
— utsuwa-Shun (@ShunUtsuwa) July 18, 2021
バッハ会長は、このモントリオールオリンピックで、西ドイツチームの選手として、
フェンシングフルーレ団体に出場し、なんと金メダルを獲得しています!
バッハ会長の若い頃の写真うさんくさすぎる!ビクターキニョネスみ強い! pic.twitter.com/T7hPLvrOjO
— ₲₳Ł₳Ӿ¥ちゃん (@iphone01_) July 15, 2021
他にも、バッハ会長は、華々しい戦績を残しています。
- 1971年、世界ジュニア選手権で銅メダル獲得
- 1973年、フェンシング世界選手権にフルーレ団体で出場し、準優勝
- 1976年、モントリオールオリンピックのフェンシングフルーレ団体で西ドイツチームの一員として金メダルを獲得。同時に世界選手権優勝
- 1977年、世界選手権のフルーレ団体で優勝
- 1978年、ドイツ選手権のフルーレ個人で優勝
- 同年、フルーレ団体のヨーロッパ・チャンピオンズカップで優勝
- 1979年、メルボルンの世界選手権にフルーレ団体で出場し、銅メダル獲得
バッハ会長の経歴は?
バッハ会長、強くて素早いっぽいな pic.twitter.com/2vY7aj6gFq
— 元11才 (@motoeleven) July 14, 2021
大学を卒業した後、トーマス・バッハ氏は、弁護士事務所を開設します。
1985年には、あの有名なアディダスの執行役会会長のホルスト・ダスラーに誘われ、
アディダスの国際関係部局の責任者に!
その後、色んな役職についています。一覧にすると以下のようになります。
- 1988年~1990年:連邦経済大臣の中産層顧問団の調整役
- 1995年~:フィリップ・ホルツマン株式会社(建設コンツェルン)の顧問
- 1998年:タウバービショーフスハイムのミヒャエル・ヴァイニッヒ株式会社(工作機械)の監査役会会長に就任
- 2000年~2008年:シーメンス(電機)の顧問
- 2000年~2009年:シーメンス・スイスの取締役会構成員
- 2005年~2009年:MANフェロスタール有限会社(鉄鋼)の顧問
- 2008年~2013年:メリウス有限会社の諮問委員会委員長
- 2006年5月:ゴルファ・アラブ・ドイツ商工会議所の会長に就任(IOC会長の就任後に辞任)
- 2009年~2013年:ニュルンベルク保険株式会社オーストリアの監査役会構成員、バルテック有限会社(産業保安技術)の諮問委員会委員。
こう見ると、人脈がすごいんだろうなと容易に想像できますね。
バッハ会長は、母語のドイツ語以外にも、スペイン語・フランス語・英語も喋れるんだとか!
バッハ会長が、IOC会長になったのはいつ?
来週から東京大会が開会するにあたり、IOCのバッハ会長と面会しました。
全ての参加者が感染対策はじめ、適切な行動を取ることが国民の皆様の理解、大会の成功のためには不可欠であり、IOCには主催者として、選手や大会の関係者に対して徹底していただきたいことを、改めて伝えました。 pic.twitter.com/Zp5cXSrXP8
— 菅 義偉 (@sugawitter) July 14, 2021
バッハ会長がIOC会長になった流れは以下の通りです。
- 1991年:IOC委員に就任
- 1996年:理事に就任
- 2000年~2004年:副会長
- 2006年~2013年:副会長
- 2013年9月10日:第9代IOC会長に選出
バッハ会長の生い立ちと経歴若い頃は金メダリストまとめ
以上、バッハ会長について、でした。
オリンピックに出場した経歴や弁護士という肩書を持つバッハ会長。
そんな経歴を経ての今なんですね!