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箱崎幸子wikiプロフィール!若い頃や元夫・子供の画像も!前田吟の再婚相手

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俳優の前田吟さん(78)が、2022年年末に「再婚した」とのニュースが入ってきました。

80前で再婚…となると、お相手の方は若い女性?と思ってしまいましたが、なんとお相手の方も、70代の女性で、歌手の箱崎幸子さん(74)でした。

18歳でミスいわきに輝いた美女ということで、どんな女性か気になりますね。

調べていくと、箱崎幸子さんは、元々歌手だったわけではなく、ある思いから歌手になったことが分かりました。

この記事で分かること
  • 箱崎幸子のwikiプロフィール
  • 箱崎幸子の若い頃の画像
  • 箱崎幸子の元夫(晋一郎)との出会い
  • 箱崎幸子が歌手になるまで
  • 箱崎幸子の子供について

箱崎幸子のwikiプロフィール

早速、前田吟さんの再婚相手、箱崎幸子さんのwikiプロフィールからご紹介します。

箱崎幸子 wikiプロフィール

名前:箱崎幸子(はこざき さちこ)

  • 出身:宮城県いわき市常磐
  • 生年月日:昭和25年3月17日
  • 年齢:74歳

 

  • 高校卒業後、(株)常磐興産に入社
  • 18才で新聞社主催のミスいわきコンテストで優勝
  • その後、化粧品販売部員として転職
  • 22才で歌手・箱崎晋一郎さんと結婚。一男二女をもうける
  • 昭和63年、夫が肝臓癌で他界
  • 平成6年亡夫の遺志を受け継ぎ『東京運河』を自費発売
  • 平成17年2月〈歌のみせ 抱擁〉を開店
  • 令和4年前田吟と再婚
箱崎幸子さんと元旦那さんの出会いや歌手になった経緯も、以下で詳しく解説します



箱崎幸子の若い頃の画像は?18歳でミスいわき

箱崎幸子さんは、18歳の頃、「ミスいわきコンテスト」に会社から推薦され、エントリーします。

50万票の読者投票のうち9万5000票を獲得し、見事優勝

その時の画像がこちらになりますが…、

55年前のものになるので、ちょっと見にくいですね(;^ω^)

箱崎幸子 若い頃画像

箱崎幸子さんは、上に4人の兄がいて、5人兄弟の末っ子として生まれます。

すぐ上の兄とは8つ離れていて、たった一人の女の子として幼少から大切に育てられたそう。

身長163cm、ピアノ、バレエを習っていた彼女は、特別な存在で、美貌にも恵まれていたそうな。




箱崎幸子の元夫・箱崎晋一郎との出会いや画像

箱崎幸子さんは、前述のとおり、22歳の頃、歌手の箱崎晋一郎さんと結婚されます。

こちらが、箱崎晋一郎さん。とっても優しそうな方ですよね。

箱崎幸子 元夫画像

2人の出会いは、幸子さんが21歳の時。

外資系の化粧品会社に転職し、美容部員の研修を受けに行った時です。

東京・青山で行われた研修の後、幸子さんの兄が当時流行していた渋谷の「じゅうたんバー」に連れていってくれました。(そこでは客が靴を脱ぎ、お酒を飲みながら語り合う)

箱崎幸子 wikiプロフィール

その時、偶然隣り合わせたのが箱崎晋一郎さんでした。

当時はデビュー曲『熱海の夜』のヒットが一段落し、精神的にもすさんでいた彼。幸子さんは名前もヒット曲も知らなかったが、「この人、悩んでる。何とかしてあげたい」と強く感じたという。以来、二人は交際を重ねていたが、幸子さんの両親は浮き沈みの激しい芸能人との結婚など当然反対。

結婚を反対されていた幸子さんは、半ば家出状態でいわきを飛び出し、正式に結婚ができたのはその6年後、『抱擁』がヒットした昭和55年のことでした。

後に箱崎幸子さんが歌った抱擁はこちら/

ですが、幸せな時間はそう長く続かず…。

「抱擁」のヒットも単発で、晋一郎さんには長い低迷の時期がやってきます。

歌の営業で全国を回り、東京にいる間は取り巻きと共に酒を飲み歩く日々。

家にいる時間はほとんどありませんでした。

『抱擁』のリバイバルヒットで、一時的家計も楽になるものの、副業として始めたアクセサリー店が倒産。

経済的にも追いつめられ、子どもたちの将来のことを考えると、気持ちは沈み、自律神経失調症と診断され、過呼吸症候群に苦しんだこともあったそう。

そして、晋一郎さんが40才になった時、新曲『東京運河』ができます。

「この曲を最後にして、あとは会社に就職し、新人を育てるディレクターになる」と心に決めたのですが、この頃、晋一郎さんの身体は癌にむしばまれていました。

余命3ヶ月

『東京運河』は発売され、オリコンのチャートを47位まで上昇(50位以内に入れば、大ヒット)

しかし、昭和63年の夏、43歳という若さで、箱崎晋一郎さんはこの世を去ります。

「夫は『悔しい…』と言いながら死んでいきました。

身体は無くなっても歌だけは死なせない。私が代われるものなら代わってあげて『東京運河』をヒットさせたい」と強く思った幸子さん。

それまで、カラオケで歌ったことすらなかった幸子さんでしたが、広告代理店で働きながら、ボイストレーナーの大木恭敬氏に師事。

週2回のレッスンを受けながら、平成6年、念願のCDを自主制作でリリースしました。

新宿のクラブで歌いながら働き、一人で営業先にも出向きます。

やがて赤坂の一等地に「ラウンジ エンブレイス(抱擁)」を開店。

徳光和夫さんをはじめ、生前に晋一郎さんと交流のあった人たちが訪れ、店はとても繁盛した。 そして10年の月日が流れ、紅葉のいわきを訪れた。怒濤のように過ごしてきた半世紀を振り返り、そろそろ静かに暮らしたいと思ったという。

平成17年2月17日、晋一郎さんの誕生日に「抱擁」を開店。

そして、令和4年1月、荻窪のスナックで前田吟さんと出会い、出会って半年で結婚(再婚)!

箱崎幸子の子供は?

箱崎幸子さんと元夫・晋一郎さんの間には、1男2女の3人の子供がいます。

こちらが、長女のルミさん。

箱崎幸子 プロフィール

前田吟さんも、前妻を亡くされていて、子供(息子)が4人います。

前田吟さんは、孫が5人、ひ孫も2人いるそうですが、

次男については、前妻の連れ子だそうです。



箱崎幸子(前田吟再婚相手)のwikiプロフィールや若い頃まとめ

前田吟 再婚相手 

以上、70代で電撃婚をした前田吟さんの再婚相手、箱崎幸子さんのプロフィールでした。

運命的な出会いから、元夫と死に別れした箱崎幸子さんですが、

まさか70を過ぎて、俳優と再婚するなんて、夢にも思ってなかったのではないでしょうか。

前田吟さんは、自分の介護をしてもらおうという気持ちはないそうで、

子供の頃から、苦労されてきたようなので、

お二人で、元気に幸せに暮らしてほしいですね。

「僕は養父母に育てられたのですが、養母は僕が4歳のときに、養父は僕が中学生のときに亡くなりました。養父が亡くなるまでの1か月、僕が病院の隅の七輪でおかゆさんを作ったり、めざしを焼いたりして食べさせ、ベッドの下に寝起きして看病していました。だから、家事をするのも、身の回りの世話をするのも全然、平気なんですよ」