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野村克也、最後のテレビ出演「徹子の部屋」で語った子供の頃の話が壮絶!

2020年2月11日、虚血性心不全のため84歳で亡くなられた野村克也さんの映像が、翌日12日、徹子の部屋で、放送されました。

1月20日に息子の克則さんと二人で、徹子の部屋に出演した際の映像です。

この日から、まさかこんなにも早く、沙知代さんのもとへ逝かれるとは思いもしませんでした。

放送された内容は、野村沙知代さんについてのことが多かったですが、野村克也さん(ノムさん)の子供時代の貴重な話もありました。

その徹子の部屋の内容をお届けします。子供の頃の壮絶な話から知りたい方は、目次からどうぞ!



【放送内容】野村克也の最後のテレビ出演「徹子の部屋」に克則と登場!

ノムさん、ショック。悲しい。寂しい。

まず、徹子さんに、プロフィールから紹介される。

  • 野村克也さんは、野球評論家と同時に、本塁打数は日本史上2位(1位は王貞治)。監督としては、3回の日本一に輝く日本の名指揮監
  • 息子の野村克則さんは、現在、東北楽天ゴールデンイーグルスの1軍で、作戦コーチ。現役時代は、ヤクルト阪神などを渡り歩いた。

妻:沙知代のことを聞かれる野村克也

のむさん。悲しすぎる。ショック。子供時代。幼少期
  • あまりにも存在感が大きかった
  • 忘れるのは、難しい
  • 自分より、先に死ぬなよと、言い過ぎたかな。ずーっと言ってましたから。
  • ちゃんと俺を見送ってからにせぇよと言っていた。
  • 「そんなのわかんないわよ」と言われていた。
  • 女性上位の国は栄えるっていうけど、うちは、典型的なかかあ天下だから。だからよかったんだと思います




息子の克則に母:沙知代のことを質問する黒柳徹子

野村監督、ショック。信じられない。子供時代。幼少時代。
  • 見たままで、豪快な母。過保護に見られるけど、結構厳しい母だった
  • 教育とか、全部母がやっていた
  • 昔で言うスパルタみたいなところがあった
  • 喧嘩ばかりしていた。父からは、やめとけ、逆らうなと言われていた




沙知代の最期のことを聞かれる

サッチー。子供時代。貧乏。極貧生活
  • 5分間。5分で息を引き取った。
  • うずくまっていたから、背中さすって、「大丈夫か?」って言って、「大丈夫よ」が最期の言葉だった。
  • 様子がおかしかったんで、救急車呼んだんですけど、来た時には、逝ってました。
  • 今まで一回も言わなかったが、亡くなる前夜、「手を握ってと言ってきた。「どうしたんだ、お前」って言ったけど、予感がしてたんでしょうね。握ってあげた。
  • 長い間闘病生活に苦しんでとかではなかったから、良かったのか・・・。
  • 本当に、ぽっくり逝ってしまい、心の準備もできてなく、いきなり逝っちゃったんで、しばらくの間、気持ちの整理がつかなかった




結婚相手のことを聞かれる克則

野村元監督、家族写真。貧乏。極貧生活
  • 父が寂しくないように、してるつもりなんですけど。
  • 結婚相手は、母とは正反対の人が良かった。
  • 姑としての母は、良かった。最期10年くらいは、優しくなったというか、やわらかくなった。昔のようなところは、ほとんどなかった。
  • 仲良くやってくれていた。




23年前のハワイ旅行の映像

ノムさんの笑顔。切ない。

野村沙知代さんとのツーショット映像VTRを見ながら、微笑む野村克也さん

  • 妻は、「なんとかなるわよ」といつも言っていた。(克也)
  • 克則と沙知代はぶつかることが多かった。(克也)
  • 本当に、母の子でよかったと思うようになった(克則)
  • 高校と大学は、毎試合見に来ていた(克則)




克則が野球選手になることを父:克也は大反対していた

  • 高校から、プロの世界に飛び込んでと自分では思っていたけど、その時に、父に、大学に行ってほしいと反対された。自分の中では逸る気持ちもあったけど、父の考えもあって、大学に行かせてもらった。

小学3年生の頃に克則が書いた作文を、徹子さんが読む。

続いて、ヤクルトに入団した時の映像が流れる。

  • 心の残りは、克則には、親らしいことをしていないこと
  • 私のもとから、離れて暮らしてますから、高校大学の監督さんに育ててもらった。(克也)
  • 父は、小さい頃から、家にいることが少ないし、土日家族で出かけることもなかった。(克則)
  • 寮生活が長かった。いつも、家で母と二人。(克則)
  • 母は、勉強よりも野球をしろと言っていた。(克則)




野村克也、最後のテレビ出演「徹子の部屋」で語った子供の頃の話が壮絶すぎる

  • 野村克也さんは、3歳の時、戦争で、父を亡くした
  • 母子家庭で育った。
  • 親父を全く知らない。浮かんでこない。
  • 母親の苦労している姿ばっかり見て育ってるので、どうしても母親を楽にさせてあげたいとそんな思いでプロ野球に入った。
  • 貧乏が嫌で嫌で、最初、歌手を目指した。美空ひばりさんが1つ下だったから。それを見て、俺も歌手になろうと思ったけど、ダメだった
  • その次は、俳優。鏡に映る自分の顔見て、あぁこの顔じゃ無理だなと思った。
  • それで野球しかなかった
  • 野球は、道具が必要で、そんなの貧乏人の母親に買ってくれなんて言えないから、自分はずっと野球部にいたけど、短パンにランニングシャツ着て、ユニフォームはなかった
  • 試合の時は、後輩にユニフォーム借りて行っていた
  • 野球をやるような環境ではなかった。母親にはずいぶん反対された。いつも母親に怒られていた
野村克也元監督の兄、お兄さん、の画像、ノムさん兄京都新聞より(野村嘉明さん)
  • 兄(野村嘉明)が一番助けてくれた。
  • 兄が背中を押してくれた。兄は、暇さえあれば勉強ばかりやっていた。
  • 母親は兄貴に対しては、勉強ばかりしてないで、遊んで来い、自分には、野球ばかりしてないで勉強しなさいと言っていた。
  • 可哀そうなのは、兄は大学に行きたかったのに、自分のために犠牲になって就職した
  • 本当は、自分(克也)も高校には行けなかったんだけど、兄が男の子だから高校くらい行っとかないと、将来苦労すると言って、高校に行かせてくれた
  • 兄は、自分(克也)が高校を出てから、大学にいった。趣味が勉強の兄貴




【号泣】野村克也が最後のテレビ出演「徹子の部屋」に涙が止まらない!

2月12日放送された野村克也さん出演の徹子の部屋は、主に、野村佐知代さんの話がメインでしたが、野村克也さんの最期の姿ということで、涙した人が多かったことと思います。





野村克也、最後のテレビ出演「徹子の部屋」で語った子供の頃の話が壮絶すぎる!まとめ

2月11日に、沙知代(サッチー)さんのもとへ旅立たれた野村克也さん。

野球選手になったのは、母親を楽にさせたいから

苦労して育った野村克也さんだからこそ、名言がたくさん生まれたのかもしれません。

心から、ご冥福をお祈りいたします。